越境するユーレカ -”推し”とラッパーを分けるもの-

ニキビが増えた。
あれ?と思ったのが約2週間前。顎から始まりみるみる口まで広がった。恒例の「口周り ニキビ 原因」でググり、一番上に出てきた「睡眠不足」で納得した。
理由は明白だ。私は今、並行して3つのオーディション番組を見ている。
一度見始めると「あと1話だけ」「あと10分だけ」「この審査だけ」が止まらない。睡眠時間を犠牲にするほど夢中になってしまった。

公開オーディション番組は、展開の道筋が明快だ。
段階的に誰かが選ばれ、同時に誰かは選ばれない。より(少々乱暴に)単純化すると「勝ち/負け」の構造が物語の基盤となる。それだけでも強烈なインパクトがあり、視聴者を惹きつけるドラマ性を内包していると感じる。
*ドラマと言うと良質なもの・感動するもののように思えるが、同時に苛虐的な側面があるのも事実だ。SKY-HIはインタビューで、それについて当事者側から説明している*1

さらに、私は集団の中から”推し”を見つけ、応援することに適正を持つ人間でもある。
持ち前のスキル、人間性、ふと見せる表情、もしくは容姿…何が”推し”を”推し”たらしめるかは人それぞれだろう。
私の場合は、歌・ダンス・ランウェイなど…パフォーマンスがきっかけとなることが多い。そして「探して見つける」というより「え!?見つけちゃった!」といった方が正確だ。
「番組の性質上、応援する相手がいるとより楽しめる」という理由で、能動的に一部の人間に注目する場合がないとは言い切れない。
だが大抵、推しは突然現れ”推しとなる”。落とし穴に落ちて初めて「見つけてしまう」。気づけば穴の深くで身動きが取れなくなっている。目が彼/彼女ばかりを追いかけている。眠る前に「あの時のダンスもう一回確認してから…」なんてやってると、アドレナリンが暴れだしてさらに寝つきが悪くなる。

 

オーディション番組に限らず、私はこういった”誰か/何かを推す”行為を長く繰り返してきた。テレビに映る人、身近な人、商品や会社に至るまで「好き」を「推し」と表現することはごく単純で日常茶飯事的な行為となっている。
そして、私は自分のことをHIPHOPファン(ヘッズ)だと自覚し、ラップミュージックとラッパーを愛している。
お気に入りのラッパーを”推し”と呼ぶヘッズは多くはないと感じるが、私にとっては好きなラッパーも”推し”なのだろうか?

超個人的なことだが、改めてそれを考えるに至ったSKY-HI主催のオーディション番組「THE FIRST」から始まり
推しとラッパー、そして自分、この三者の関係性を整理したいと思う。
ぜひ楽しんでいってもらえたら嬉しいです。

 

THE FIRSTとは

SKY-HIが設立した株式会社BMSGが行っているダンス&ボーカルのボーイズグループオーディション番組。NTV「スッキリ」でコーナーが組まれており、完全版は「Hulu」で配信中。Youtube版もある。

bmsg.tokyo

 以前SKY-HIがインタビューで語った、昨今のアイドル文化に対する批評が印象的だった。音楽業界全体に影響を及ぼすほど大きくなったこの文化を踏まえて、彼ならどんなアーティストグループを作るだろう?と思ったのが視聴のきっかけだ*2。(あとChaki Zuluが好きなので。いつ出てくるかな? 待ってます。)

番組は二次審査(個人面談型のパフォーマンス審査)から始まり、30人を5チームに分けたグループ三次審査(2日間)を経て、四次が15人での合宿審査(1ヶ月)という流れで進んでいる(*6/5現在)。

課題曲にDaichi YamamotoやAKLOが使用されており、朝から地上波にかっこいい音楽が乗っている状況はヘッズとしても嬉しい。

そして参加者の中にも、既にラッパーやアーティストとして活動している人がいる。
*三次審査まで進んだ内野創太くんの音源、おすすめです。

youtu.be

 最終的には5人が選ばれ、ボーイズグループとしてデビューする予定*3

 

「THE FIRST」の”推し”について

*ここで自分の「推し」という言葉の意味をより明確に書きたい。既に「推し」はかなり一般化した言葉となったが、同時に、使用者によって細かなニュアンスが変わると考えられるからだ。
明鏡国語辞典 第三版』*4には「特に引き立てて応援している人や物。お気に入り」とあった。また、『三省堂現代新国語辞典 第六版』*5には「人に推奨すること」とある。
広辞苑 第七版』*6には記載がなかったが、語源の「推す」については「(人をその地位へ)すすめる。推挙する。推薦する。」とあった。
さらに辞書サイトには「人やモノを薦めること、最も評価したい・応援したい対象として挙げること…(中略)「同種のものの中ではこれが一番好き」という意味合いで広く用いられるようになりつつある。」(weblio辞書)ともある。

共通するのは「応援」「推薦」だ。
ここに私なりの感情を込めて「自分以外の人にも知ってほしくて、出来ればいいね!と言ってもらいたいほど好意的に応援している人」にする。

 では、こちらの動画を見てほしい。

www.youtube.com

 テレビから「Neo Gal Wop」が流れ「お、やったー」と思った。大好きな曲の1つだ。
次の瞬間彼が踊り始めた。複雑な筋肉の振動が、トラップビートごとJP THE WAVYの声と重なった。
それが今回の落とし穴だった。ワイプの中でスタジオがどよめいた。
パフォーマンスが終わって咄嗟に「この曲をこんなにかっこよく表現する人がいるんだ…!」と思った。ちなみにSKY-HIのコメントは「お金払わなくていいのかな」だった。

もし曲が違っていたら、ダンスのジャンルが違っていたら、そもそも私がHIPHOP好きではなかったら、巻き戻しと再生ボタンを往復することもなかったかもしれない。

調べてみると彼はプロのダンサーらしい。世界大会での優勝経験があり、有名アーティストのバックダンサーも務めている。
だがキャリアやトロフィーという”実績”が、推したい気持ちをさらに強めるかというと必ずしもそうではないのが面白いところだと思う。

そこから推測できるのは、彼は努力を継続してきた人で、先の表現は経験に裏打ちされているのだということ。そこに偶然、自分の好きな音楽が重なってしまった。それは一瞬の火花に近い化学反応のようなものだった、という他無い。

島雄壮大くんは、これ以降も頻繫に取り上げられた。
三次ではチームリーダーに指名され、個性的な面々を率いてパフォーマンスを成功させて、個人の順位を6位から4位にあげて四次へと進んだ。その四次審査では、チームメンバーとコレオグラフしながら、自身のパートにはラップを書き、ラップ用の声も作り上げた。

www.youtube.com

自負があるだろう得意分野を引っさげて参加しながらも、新たなジャンルも確立しようとする姿に、応募動機の「自分の表現する音楽をもっと広い世界でやりたいと思った」という言葉が思い出された。
言行一致で歩を進め、そのプロ意識でチームのフォローにも貢献する。審査後、涙ながらに語られた彼のコメントは多くの番組ファンの胸に響いたのではないかなと思う。

またポーカーフェイス気味の彼が、楽曲制作中に笑顔を見せたり、参加者たちとふざけたりしているオフショット姿には胸がキュンキュンした。ここまでくると惚れた欲目で、画面の端に姿が映るだけで嬉しいし、果ては名前まで愛おしく見えてくる。
誰かを推すってこういう感覚だったなと思った。

”推し”と自分の距離

私は好意を持つものに対して頻繫に「推し」「推す」と言う。だから、まるで久々に推しているかのような言い方は語弊があるのだが、単純な好意を超えた、先述のニュアンスまでが含まれるのは久々の感覚だった。 そして、かつて私が抱いていた"推し"感情はまた少し違っていた。

初めて見つけた”推したち”の話

大学生の時、初めて"推しを見つけた"。ジャニーズだった*7
歴代の推しは2人。容姿から惹かれた。どちらもかっこよくてかわいくて、あまり愛想笑いをしないところと、好きなものに全力を注ぎ他はおざなりにしても何となく許される人間ぽさが好きだった。

私は推したちを収集し、自らと対照した。

コンサート以外の用途が無くても、「なんか今回のビジュ違うんだよな…」と思っても推しのうちわは必ず買う。服も推しカラーを選ぶ。コンビニのコラボグッズを自引きできなければSNSで探す。延々とネットを徘徊し、見たことのない推しの写真を保存する。推しがやっているからという理由で同じ習い事を始めた。私のハマりぶりに興味を持った友達がグループのファンになってくれて、よく一緒にコンサートへ行った。

更に出演番組やインタビュー、ファンの間で語り継がれているエピソードも収集し、推したちと自分を対照した。
彼らの言動に共感すれば運命を感じ、好みのタイプと違っていれば自分を恥じ、真摯な姿を見れば尊敬の念を抱いた。
それは彼らのごく限られたミクロな部分へのフォーカスだった。個人的な好みや考え方に共感すること、ふと垣間見える弱さに胸を焦がすこと、カメラの前で苦難に立ち向かう姿を誇りに思うこと、それは推しと自分を見比べて「近しい部分がある存在同士だと結びつける行為」でもあった。

私の目の前に現れたとき、推したちはとても遠いところにいた。
物理的な距離から性別、すらりと長い手足や年齢まで、推しは肉眼で観測できるきらきらした星のようだった。
魅惑的な遠い星の美しい横顔に自分と近しいものを見つけたときの喜びは(それが彼らの本当の姿だと信じて疑わなかった)、何というか、非常に特殊なものだった。
つまり私は遠くにいる彼らの中に「なりたい自分」を見ていたのだった。

"推し"が見えなくなった

社会人になってすぐ、ネガな状態が続くようになった。休日の余白の時間が怖くなり、以前ほどの熱量で収集・対照することができなくなった。
それまで、失恋したときも就活がうまくいかなかったときも推しの存在と歌声に励まされてきたはずなのに、漠然とした不安が霧のようになり、星どころか自分の体も見えなくなった。今思えば、遠すぎるものばかりに自分を依拠していたことの反動だった。稼いだお金をいくら趣味(※主にアイドル以外の)につぎこんでも満たされなくなった。

それぞれのグループの勢いも下降気味になった。あまりバラエティーやドラマに出ない推したちは更に露出が少なくなった。そのうち1人が事務所を辞め、もう1人はグループ自体が活動を一時休止することになった。どちらの選択もポジティブなものだったので心から応援していたが、彼らを目にする機会はぐんと減った。

このブログを書くためにLINEのトーク履歴で「推し」と検索してみると、2017年ごろから何かにつけて「推し」と言っている。「好き」や「お気に入り」よりフランクで、「おすすめ」以上の意味もある。やっぱり便利な言葉だなと思う。でも、どれも彼らを推していた気持ちとは少し違うようだった。

推しは偶像から少しずつ離れ、退所や休止という形で一個人の輪郭を見せ始めていた。
その姿はまたもや「なりたい自分」と重なった。華々しい実績を持つ人間でも、それを降ろしたり、一度休んだりすることを選べるのだと知った。それでも私は私自身に対してどうしていいか分からなかった。私が対照すべきは私自身だった。

ラッパーと自分の距離

HIPHOPを知ったきっかけは、大学時代の友人に誘われた「ラッパーのワンマン」だった。

軽い気持ちでついていき、場の空気感に圧倒された。ステージでもフロアでも誰もが好きに立っていて、好きに声をあげてお酒を飲んでいた。こんなに空間が存在するんだと驚いた。一瞬でも霧が晴れるような思いだった。

主にラップミュージックを聴き、ラッパーを追うようになってしばらく経つ。まだ知らないこともたくさんあるが、HIPHOPに(そして何より友人に)感謝している部分が大きい。
だから好きなラッパーたちがもっと売れて、もっと世間から知られて、もっと評価を受けるべきだと思っている。パーカーも買う。インタビューも読む。投げ銭する。テレビに映ったら思いっきり喜ぶ。いけると思ったらおすすめもする。
これまでの私の”推し”要素は満たしている。私は好きなラッパーを”推して”いるのだろうか?

「ラッパーを推しと呼ぶな」論争を考えてみる

以前SNS上で「好きなラッパーを推しと呼ぶのはどうなのか」という発言をよく見かけた。

先述の通り”推し”は現在広く一般に使われているが、元はアイドルカルチャーから生まれた言葉だ。そのイメージは根強い。また元々HIPHOPカルチャーにはスラングが多く、そこへ別のカルチャーの言葉を置いた際に違和感が出るのは当然だと思う。

更に考えたいのは、HIPHOPカルチャーを考える際に避けて通れない「ミソジニー(女性蔑視)とホモフォビア(同性愛嫌悪)」の影響だ。

i-d.vice.com

 
アイドルは、主に2種類のパフォーマンスでファンに恋愛を表現する。

①「自分-ファンの疑似恋愛」
②「メンバー(同性)同士の疑似恋愛的なコミュニケーション」
これは主に男性アイドルが行う、メンバー間での所謂「わちゃわちゃ」かつ「イチャイチャ」なスキンシップを指す。それは単なる仲良しアピールにとどまらない。彼らへ「もしメンバーと付き合うなら誰?」などの恋愛を想起させるような質問が向けられるのはお決まりだし、雑誌によってはメンバー同士のキス写真も掲載される。
これにより「女性の存在を無化する「偶像」になることに成功し(西条・木内・植田,2016)」*8、恋心の強いファンへ「彼の心はメンバーに向けられている」という安心感を与えることもあるだろう。

*少し脇道に逸れるが、これに関してクィアベイティングの側面も否定できないと思う。私たちは他者のセクシュアリティを本人の意思と関係なく願っていないか?その危険性と海外での動きがこちらのニュースにまとめられている。また『ユリイカ』2019年11月号の「「kinda」の呟きから揺らぐ「正しさ」 ビリー・アイリッシュクィアたりうるか?」(木津 毅)もおすすめだ

 
主に異性を恋愛的要因で夢中にさせる仕事(さらに「誰かに恋すること」は主に女性のものだというイメージが存在する)、そしてメンバー内での恋愛関係を示唆するようなファンサービスによって「同性だけで収斂する世界観」を強化するシステムは、ミソジニーホモフォビアと非常に相性が悪いのではないか。

故に、そのカルチャーから流用された言葉にも強く拒否反応が示されているのではないだろうか?というのが私の見立てとなる。

 

ラッパーは”推し”か?

大前提として、(一般化された・差別的な意図を持たない)言葉を使う・使わないはあくまで個人的なことだ。言葉1つで「HIPHOPだ/じゃない」と決めるのは形骸的だし、そんなことに意味は無い。くだらない。

それを踏まえたうえで、私の出した結論も超個人的なものだ。

「ラッパーと”推し”は包含関係にある(”推し”⊊ラッパー)。”推し”は真部分集合だ。だから私はあなたたちを極力”推さない”」
(二枚舌のようで申し訳ないが、真部分集合かつ極力なので使うときもある)

この考えを言語化するまでにかなり時間がかかった(苦手な数学的概念を持ち出しているので、間違えて理解してたら教えてください…)。そして強く言いたいが、これは階層的な話ではない。ラッパーだろうとなかろうと、どちらが上も下もなく、同等に好きで応援している。私にとっては心から必要で、大切な存在だ。

でも彼らを推すには、私はあまりにも近すぎた。

アイドルが天体観測であれば、HIPHOPは流れ星で隕石だった。
暗い空に燃え盛るなにかがあった。何気なく近づいたら、それは私の惑星に思いっきり衝突した。跳ね飛ばされた衝撃でマントルが露出し、流体が新しい地表を作った。今まで近くにあったのに気づけなかった新しい間欠泉が発見された。

HIPHOPは、私がこの社会で生き延びるための切実な方法として現れた。

そのむき出しのかっこよさに抗えず、目に見える隕石を手当たり次第に漁った。手近だったMCバトル番組から入り、音源を探すようになった。ゆるふわギャングのボースティングに尻を叩かれ、KEIJUのリリックに感銘を受けた。田島ハルコで笑い、KOHHで踊り、Jin Doggが怒ってくれて、心が動揺したときはMoment Joonを思い出すようになった。

音楽以外でも影響を受けた。選ぶ服が変わり、読む本のジャンルが増え、誰かと話したくてSNSを再開させ、それまで無知だった社会問題にも目を向け行動するようになった。

ラッパーとひとくくりに言っても本当に様々な人がいる。
性別、ルーツ、育った環境、経験、彼らがHIPHOPと出会ったきっかけ…。似た要素はあっても、レイヤーが重なり合ったとき全く同じものは存在しない。そして、それこそが社会の有り様なのだと教えてくれた。彼らの表現する欲望がたまたま大衆的であっても、彼ら自身が都合のいい偶像にはならない。どこまでも鮮烈なリアリティを体現し続ける。

「最も個人的なことは、最もクリエイティブなことだ」

みな一様に遠く、たまに接近し、だからこそ彼らの言葉が真に私のものでもあるように感じられる。私は他人に影響を受ける脆さを抱えたまま、故に奮い立つことができる強さを兼ね備えていると理解した。私は私を主体として、あらゆるものまでの距離を計測する練習を重ねている。流れ星は今も降り続け、私の地表は崩壊と再生を繰り返している。

あなたたちを推さないのはわたしが近いからだ。

 

推しがラッパーになるとき

最後に、今の”推し”の話に戻る。
三次審査後、SKY-HIは彼にこうコメントした。

「ソウタは…さらにラップがどんどんと良くなっていって/ダンサーの子がラップをしているのではなくて/とてもダンスの上手いラッパーに明らかになっている」*9

さらに四次審査期間中には彼のラップに対して、Novel Coreと共に「最大限のリスペクトと感謝」と述べた(詳細は現在Hulu版でのみ確認できる)。 また本人は「成果が見えてきた」と言っている。その真摯な姿勢がグッとくる。テレビの前で何度目かの「わ~!推す!」が出た。

え、待って、”推し”がラッパーになる可能性があるってことだよね? 初めてのパターンに遭遇した。どうしよう、とても楽しみだ。でも仮に本当に彼がデビューできたとして、本当にダンスの上手いラッパーとして完成したら……私は彼を推さなくなるのだろうか?

私はラップミュージックが好きだから過度に期待してしまうが、あくまでラップは表現方法だ。形よりも、彼がどんなノリ方でどんな表情をして何を言うかに注目したい。何よりすでに彼が発する言葉は魅力的だ。
だから彼がラップという手段をものにしたときに、その言葉がより鮮やかな輪郭を持って広がっていけば嬉しいと思っている。

私にその距離を測らせてほしい。

*1:SKY-HI 「自分を見ている人がいる」が成長につながる|NIKKEI STYLE

*2:【トークセッション】SKY-HI×AWA「令和時代の音楽ビジネスはどのように変貌していくのか」 | OKMusic

*3:追記:8/13に7人組ボーイズグループ「BE:FIRST」としてデビューメンバー発表が行われた。

*4:2020.12.10発行

*5:2019.1.10発行

*6:2018.1.12発行

*7:本来、ジャニーズファンは好きなジャニタレを「自担(自分の担当)」と呼ぶ

*8:西条昇・木内英太・植田康孝「アイドルが生息する「現実空間」と「仮想空間」の二重構造〜「キャラクター」と「偶像」の合致と乖離〜」江戸川大学学術リポジトリ (nii.ac.jp)

*9:THE FIRST -BMSG Audition 2021- #6